色々と便利な池袋に住んでみたい!

3大副都心の1つ、池袋

初見の人は迷う確率が高い

東京都となれば人口が日本において最も集中している地域の1つとなっており、住んでいなくても一日に都内で電車を利用する関係も含めたら数え切れない人の渦が形成される。正直なところそうした流れは例え住んでいる人であっても、最初から慣れているといったようなことはないだろう。人ごみの多さはもちろんだが、商業施設などを結ぶ駅の出入り口についても新宿や東京駅、はたまた渋谷駅といった特に人の利用が多い駅では出入り口で迷う事は誰にでもあると思う。筆者も初めて訪れたときにはさすがに何処がどこに繋がっているのか全くわからなかったため、掲示板案内を確認するなどしていた。そういう意味で、池袋についてもあそこは本当に迷ったなぁと感じる場所の1つだ。

筆者はそこまで遠出をする人間ではないのだが、時には池袋にいかなければならないときもある。たまには友達と共に訪れたこともあるが、その時はまだ何回か降りた経験があるのでいいとしよう、問題は初めて行った時のことだ。改札を出て思ったのが『広いなぁ』というものだ。新宿や渋谷などにも訪れていたが、初めて来た場所に思う感情としては非常にありきたりな感情ではあるが、目的の場所目指して歩いていたが、たまたま掲示板を見ることをしなかったため迷ってしまった。この時約束をしていたので少々急いでいたのだが、何とか間に合ったがそれでも万事休すといった状況だったので、今後は注意しようという気持ちになる。

その後も池袋には頻繁に訪れる機会こそないけれど、初めて降り立ったときのような状況見たいにはなる事はないが、それでも行き慣れていないために新鮮さを感じつつどこかテンション高く街を歩いていたりする。あくまで住んでいないからこその意見だが、では実際にこの池袋に住んでみたとしたらどうなんだろうかと、考えた事がある人はいるだろう。目的意識を持って池袋に住みたいと考えている人もいると思う、しかし漠然と単純にここが良いといったそんな感情では選択対象として、そこまで頻繁に選ばれる地域とも言えないかもしれない。池袋に住む、色々と思うところはあるが、まずは順々に紐解いていこう。

1日平均して50万人以上の乗降者数

池袋といえばやはり駅の大きさは抜群だろう、筆者のイメージとしても駅の大きさは新宿駅と同等、またはそれ以上なのではと感じることもある。実際にはダントツで利用者と広さは新宿駅の方が大きく、池袋は駅の大きさだけなら次点として東京駅と肩を並べるほどと言われている。そんな池袋駅は駅交通の3大副都心たる一角に代表されており、そしてそうしたこともあって利用者の数も新宿に次ぐ2位を獲得している。

池袋駅の利用者数は1日平均すると50万人以上超える事は当然で、その記録はここ15年近くその水準を維持し続けている。年度によって利用している人の数は違えど、まずこの大台を切る事無く平均した数値を毎年記録している。実際の数字については、10年分は多すぎるので過去5年間に焦点を絞って紹介しよう。こちらはJR東日本で発表されている数値を参考にして紹介していこう。

2013年 550,350人
2012年 550,756人
2011年 544,762人
2010年 544,222人
2009年 548,249人

数字を見ていただければわかると思うが、非常に安定した利用者数を記録している。利用している人だけでもコレだけいることを考えればわかると思う、それだけ電車を利用するという意味でも非常に重要な拠点として見ても問題ない。余談だが、この15年間において最も池袋駅の利用者数が多かったのは2007年度のもので『589,837人』もの人が池袋の駅を利用していたという。60万人に及びそうな数字を記録しかけたが、その僅かな数字で届かなかった。

それだけこの池袋においても交通網として通過するにしても、降車するにしても貴重な路線だからだ。ただそれも山手線の昔から存在している路線があるからという理由ばかりではない。池袋駅を利用する人の数が増えた遠因として考えられる一つは、やはり2001年度から開通した『湘南新宿ライン』の存在は切っても切り離せないだろう。北は埼玉、南は横須賀という長距離路線が切り開かれたことによって、利用者は格段に増えた。筆者の友人たちも埼玉に在住しているからこそわかる便利さを物語っていた。ただその反面、利用する人が多すぎて日頃からやたらと混んでいるなどと愚痴がこぼれていたが、便利だからこその混雑と考えれば仕方ないのかもしれない。こうした人数が毎日利用しているなら逆に駅構内で迷うことになっても何ら不思議なことはない。むしろ迷うのが当たり前だろうと捉えてもいいかもしれない。複雑だからこそ迷いたくはないかもしれないが、あえて迷うことでマッピングを自動的に行えると考えれば安いものだ。

池袋という名称

次に池袋で気になることといえば、やはり定番というべきなのか地名の由来は知っておきたいだろう。正直新宿や渋谷といった言葉よりも先に池袋の名前を始めに覚えたような気がする。どうして早く覚えたのかについては、単純に言いやすく言葉に出しやすかったからなのかもしれない。池袋という名称は一体何処から取られたものなのかと見て行くと、意外なほどに池袋周辺はかつては農村地帯であり、現代のように人の往来が少ない場所だった。この点についてはどの地域においても共通しているところだろう、東京都内は現代でこそ発展しているが、時代を遡れば大半が水田跡地といった例が沢山見られるからだ。そういった意味で、この池袋もまた名称については地域におけるある特徴から命名された。

その特徴とは、かつてこの池袋の地には袋の形をした丸池があったことから来ていると言われている。シンプル且つ、それだけかよといわれそうですが注目してもらいたいところはそこではなく、その名称が『いつ付けられたか』、についてだ。

古代期から付けられている

池袋という名称は古いものでも戦国時代古文書には既に登場している。ではそんな池袋の名称の由来となった池は現在どうなっているのかというと、歴史的に古いはずなのだが何を思ったのか現在は埋め立てられてしまったという。下水道工事の関係上仕方がなかったということだが、それもどうなんだろうかと思ってしまうところだ。

工事をしなければならないという問題が出てしまい、当然ながら池袋としても歴史としての観点からせめて名残と、ここにあったという証拠を残しておくために梟のモニュメントを配置しているという。池があったことなど微塵も感じられないが、現在では夜には幻想的なライトアップがされることで観光スポットの1つとして、現在でも愛されているようだ。史料的な意味で池が残せなかったというのは非常に残念だが、存在そのものが消えたわけではないことを考えればまだ救いなのかもしれない。

繁華街が出来始めたのは、明治の頃から

特徴的な丸池があったことから池袋と呼ばれるようになったが、そもそもこの池袋も古代の地図上では農村地帯として非常に閑静な風景が広がっていた。現在のように繁華街が立ち並んだ賑わいを駅前で見せているが、それらがその形として成り立ち始めたのが明治時代、池袋に鉄道駅が出来てから急速に発展していった。地形的には元々便利だったこともあり、池袋が急激に発展するまでに時間を要する事はなかった。しかしその反面この街を語っていくと閑静だったかつての農村部には見られなかった闇が蔓延っていく。それこそ池袋に対して否定的なイメージを持っている人がいる原因でもあり、池袋の歴史を語る上で非常に重要な部分でもある。人通りの少なかったことも有り、現在のパルコの東に位置したとある公園には、供養塔があることを知っているだろうか。この塔は享保六年に建てられたもので、かつてこの地で辻斬りの犠牲者となった人々が弔われていることでも有名となっている。現在のように人通りが多い繁華街とは違って、発展途上の頃においては危険が隣り合わせにあった地域として見られていたことを物語っている。

正気と狂気が入り乱れる池袋とその繁栄における光と闇について、ここでは考察を加えながら調べていこう。